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神戸地方裁判所 昭和50年(ワ)968号 判決 1979年3月28日

原告

井上雅代

右法定代理人親権者父

井上正義

同母

井上峰子

原告

井上正義

原告

井上峰子

右原告ら訴訟代理人

伊藤香保

外七名

原告井上雅代訴訟代理人

藤本哲也

外二名

被告

明石市

右代表者

衣笠哲

右訴訟代理人

林藤之輔

外四名

主文

一  被告は、原告井上雅代に対し金一六五〇万円、原告井上正義及び同井上峰子に対し各金二二〇万円、ならびに内原告井上雅代に対する金一五〇〇万円、原告井上正義及び同井上峰子に対する各金二〇〇万円についてはいずれも昭和五二年六月二五日から支払済みに至るまで、内原告井上雅代に対する金一五〇万円、原告井上正義及び同井上峰子に対する各金二〇万円についてはいずれも昭和五四年三月二九日から支払済みに至るまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、主文一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告井上雅代に対し金五七五〇万円、原告井上正義及び同井上峰子に対し各金五七五万円、ならびに内原告井上雅代に対する金五〇〇〇万円、原告井上正義及び同井上峰子に対する各金五〇〇万円についてはいずれも昭和五二年六月二五日から支払済みに至るまで、内原告井上雅代に対する金七五〇万円、原告井上正義及び同井上峰子に対する各金七五万円についてはいずれも昭和五四年三月二九日から支払済みに至るまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張<以下、事実省略>

理由

第一当事者の地位について

原告雅代が原告正義及び峰子の二女であること、被告が総合病院である被告病院を開設し、小児科医、眼科医等を雇用して医療行為にあたらせていることは当事者間に争いがない。

第二原告雅代の失明について

一原告雅代は、昭和四七年三月六日午前三時三二分、明石市西明石町四丁目九番一六号荒木産婦科人医院において出生したが、出生時七か月の未熟児で、その体重も一〇五〇グラムしかなかつたため、同日午前一〇時一〇分、被告病院に入院し、同日より同年四月二〇日まで保育器内で酸素供与を受け、同年八月一六日退院し、それ以後昭和四八年一月初旬ころまでの間、週一、二回の割合で被告病院に通院したことは当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、原告峰子は、昭和四七年一二月一一日原告雅代の眼の状態が異状であるのに気付いたため、被告病院の小児科医長であつた山本稔医師の紹介により、被告病院の眼科で原告雅代の眼の診断を受けさせたところ、両眼先天性白内障との診断結果を得たことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三原告峰子が昭和四八年一月二二日原告雅代を神戸大学医学部附属病院に入院させ、同月二四日診断を受けさせたところ、原告雅代は本症に罹患し、両眼とも失明していることが判明したことは当事者間に争いがない。

第三原告雅代の臨床経過

当事者間に争いのない前記第二の事実並びに<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

一原告雅代の出産予定日は昭和四七年五月一八日であつたが、同原告はこれより約七三日早い同年三月六日午前三時三二分、前記荒木産婦人科医院において出生した。

同原告は、在胎週数二九週、生下時体重一〇五〇グラムの早産児で、いわゆる極小未熟児であつた。

二同原告は、右医院の荒木蔵六医師の紹介で同日午前一〇時一〇分被告病院の未熟児センターに入院し、同病院の小児科医長山本稔医師の初診を受けた後、米山温子医師の担当により未熟児保育を受けることとなつたが、同原告の入院時の状態は、呼吸状態が不穏で鼻翼呼吸をし、胸部が膨隆して胸骨の下に陥没があつたため、直ちに保育器に収容され、酸素投与を受け始めた。

米山医師は原告雅代を保育器に収容するに際し、担当看護婦に対し、保育器内の温度を三三度に保ち、酸素は多いめに投与する場合にも、その濃度が四〇パーセントを超えないように指示した。

同日午後一一時二〇分、無呼吸状態となり、全身チアノーゼが出現したが、直ちに刺激を受けることによつて回復し、また同日午後一一時四五分、呼吸は停止したが、心臓マツサージを受けることにより回復した。その後数回右同様の状態を繰り返し、体温は上昇しなかつたが、体動や啼泣は時々見られた。

三同月七日午前〇時三〇分、全身色は紅潮気味であつたが、呼吸は促迫して不整であり、四肢末端にチアノーゼが出現した。同日午前二時四五分、呼吸停止となり全身チアノーゼが出現したため、足低部の刺激を受けて回復した。同五五分、再度呼吸停止となつたが、同様の措置により回復した。その後腹満のためグリセリン浣腸の施行を受けた。

同日午前三時四〇分から午前四時二〇分までの間、五分ごとに、午前六時二〇分から午前七時一五分までの間、五分ないし一五分ごとにそれぞれ呼吸停止となつたが、いずれも刺激を受けることによつて回復した。同日午前八時三〇分、全身は紅潮気味で、刺激に対して体動や啼泣はあつたが、四肢末端にチアノーゼが出現した。

同日午後五時三〇分、同九時三〇分、同一〇時四五分、同五五分にそれぞれ呼吸停止となつたが、いずれも刺激により回復し、この間、体温は35.3度以上には上昇しなかつた。

四同月八日午前〇時三〇分、全身は紅潮気味で、時々四肢運動も見られたが、末端部にチアノーゼが出現した。この時点における保育器内の酸素濃度は二三パーセントであつた。同日午前二時、午前九時五分、午後二時三〇分にそれぞれ呼吸停止となつたが、いずれも刺激により回復した。同日、黄疸が出現したため、同日から同月一一日まで光線療法を受けた。また、同日から鼻腔カテーテル挿入によりブドウ糖液の注入を受け始めた。同日の体重は、九四〇グラムであつた。

五同月九日、全身色は赤黒く、体動や啼泣が見られ、濃度二一パーセントの酸素投与を受けていたところ、同日午前一〇時一〇分、呼吸停止状態に陥り、全身にチアノーゼが出現したため、刺激により回復した。その後、呼吸不整の状態が断続的に起きたが、呼吸停止の回数は減少した。

六同月一〇日、全身色は赤黒く、四肢運動、体動が見られ、呼吸状態は不整で爪床チアノーゼが出現したが、呼吸停止はなくなつた。体温は一時36.1度まで上昇したが、その後三五度まで下降した。

同日の体重は、八六〇グラムであつた。

七同月一一日、全身色は赤黒く、四肢運動や体動が活発化し、泣き声も元気よくなつてきたが、呼吸状態は不整であつた。同日の保育器内の酸素濃度は二一ないし二三パーセントであつた。

八同月一二日、全身色や体動等は前日と同様であつたが、午前一一時に鼻腔カテーテルから出血を認めたため、直ちに止血剤の注射を施行した。同日午後三時五〇分、カテーテルから血液が逆流し、午後七時二〇分、多量に下血した。呼吸状態は不穏であつた。

九同月一三日、体動や啼泣はやや弱く、前日からの多量の下血が続いた。

同日の体重は、八二〇グラムであつた。

一〇同月一四日以降、全身状態が徐々に回復し、皮膚の色は良好で、体動や啼泣も活発化し、血便も止まり、呼吸状態も平穏となつたが、体温は三五度以下の状態が数日続き、体重も同月一七日から一九日までの三日間、八一〇グラムにまで減少した。

一一同月二一日、臍帯が脱落した。

一二同月二四日、腹部膨隆のため、グリセリン浣腸を頻回に受けた。

一三同月二七日、左下顎部に腫張発赤が現われたため、抗生物質等により四月三日まで治療を受けた。

一四四月七日午前一〇時、全身状態が回復したため、酸素投与が中止された。

同日の体重は、九四〇グラムであつた。

一五同月八日午後一一時、全身色が不良となり呼吸が停止状態に陥つたが、直ちに刺激によつて回復した。同日、再度酸素投与を開始した。

一六同月九日午後二時三〇分、三時一〇分、五時五分それぞれ呼吸は停止したが、いずれも刺激により回復した。全身色は優れず、体動も殆んどなく、また活気を欠いていた。

同日の体重は、九三〇グラムであつた。

一七同月一〇日、呼吸不整状態が続き、全身色、体動も昨日から変化なく、同日午後一一時一五分に呼吸は停止したが、刺激により回復した。

一八同月一一日、体動、四肢運動は時々見られたが、全身状態は不良で呼吸不整状態が続き、著明な脱水症状を呈した。同日午後四時過ぎころから頻回に呼吸停止となり、全身にチアノーゼが出現したが、蘇生器の使用によつて回復した。また、同日から骨髄点滴が開始され、同月一六日まで施行された。

同日の体重は、九一〇グラムであつた。

一九同月一二日、全身色は優れず、呼吸不整で時々無呼吸状態となつたが、自然に回復した。

二〇同月一三日、呼吸異常は見られず、体動もかなり見られたが、下痢状態が続いた。

二一同月一四日、鼻腔カテーテルに出血が見られたが、呼吸異常は見られず、体動も活発化し、全身色もやや良くなつてきた。

二二同月一五日、全身状態及び呼吸状態は前日と同様であつた。

二三同月一六日に一一日から継続中の点滴を中止した。全身色は良好で、体動、四肢運動も見られたが、呼吸不整状態となり、これが翌一七日まで続き、時に陥没呼吸をみた。しかし、同月一八日からは呼吸状態に異常は見られなくなり、全身状態も良くなつてきた。

同月一六日の体重は、九三〇グラムであつた。

二四同月二〇日、酸素投与を中止した。体重も九八〇グラムまで増えた。

二五同月二二日、体重が生下時体重である一〇五〇グラムにまで回復した。

二六それ以降、貧血により数回輸血を受けたが、体重も徐々に増えるなど良好な経過をたどり、同年六月六日に経口哺乳を開始し、同日から七一日目の同年八月一六日に体重三五〇〇グラムで被告病院を退院した。

二七退院後、週一、二回の割合で被告病院に通院して治療を受けたが、右通限中の昭和四七年一二月一一日、被告病院の眼科で眼の診断を受けたところ、両眼先天性白内障との診断結果であつた。

二八昭和四八年一月二二日、神戸大学医学部付属病院に入院し、翌二四日眼の診断を受けたところ、本症により両眼とも失明していることが判明した。

第四原告雅代の失明の原因<省略>

第五被告の責任

一原告らと被告間の診療契約の締結

昭和四七年三月六日原告雅代、同正義、同峰子と被告間で、当時七か月の未熟児であつた原告雅代に対し当時の医療水準に基づいて適切な看護、保育、治療をなすべきことを被告の債務内容とする診療契約が締結されたこと、被告が右契約に基づき、その雇用する被告病院医師をして、原告雅代の看護、保育、治療にあたらせたことについては、当事者間に争いがない。

二被告の過失

1 医師の過失の判断基準

医師は、人の生命及び身体の健康の管理を目的とする医療行為に従事するのであるから、その業務の性質に照らし、専門的な医学知識に基づき、患者の生命及び身体の健康に対する危険防止のため、最善を尽くすべき注意義務を負つているのであり(最高裁昭和三六年二月一六日言渡判決参照)、いやしくもこの義務を怠り、患者の生命若しくは身体を害する結果を生ぜしめたときは、法律上の過失ありとして右結果に対し、責任を負わなければならない。

ところで、医師が従うべき医学の知識は、当該医療行為のなされた当時の一般的医学水準に基づくものであることを必要とし、かつ、それをもつて足り、一部の専門的な医学研究者による研究の結果、新たに公にされた最新の知識で、いまだ臨床的にその効果が確証されず、確実な知識として定着する段階に至つていないものは、医学界における仮説にとどまり、一般的医学水準に達するまでにはなお臨床面での検証に耐えうることを要するものであるから、医師がこのような仮説に従つて医療行為をしなかつたからといつて、これを当該医師の過失ということはできない。

また、近時の医学界は、内科、外科、小児科、眼科等の各専門分野に分かれ、右の一専門分野の中においてさらに多くの各専門分野に細分化される傾向にあり、細分化された各専門分野につき、それぞれ多くの医学研究者による研究がなされ、その研究成果が学界や医学雑誌等を通じて発表されているが、これら医学に関する情報は膨大な量に上り、一般の医師がこれらのすべての情報を吸収することが困難である現状を考慮するならば、医師が自ら医療行為をなす際に従うべき医学水準は、当該医師の専門分野及びこれに隣接する分野のそれをもつて足り、自己の専門外の一般的医学水準に従うべきことまで要求されるものではないというべきである。

右のとおり、医師は、その置かれた当時の一般的医療水準に従つて適切な医療行為をなすべき注意義務を負つているのであるが、もし自らが右医療行為をなすに必要な施設を有しない場合には、直ちに患者もしくはその保護者に対し、右施設を有しないため適切な医療行為をなしえない旨を告げて右施設を有する他の専門医を紹介若しくは転医させて右医療行為を受ける機会を与える義務があるものというべく、いやしくもこの義務を怠り、そのために適切な医療行為がとられていたならば、回避しえたであろう結果を、患者の生命若しくは身体に生ぜしめたときは、医師は、当該結果につき責任を負わなければならない。

また医療行為は、医師の置かれている社会的、地理的その他の具体的環境(研究機関の附設された大学病院であるか、国公立の総合病院であるか、普通病院であるか、個人開業医の診療所であるかなど)によつて差異があるので、医師に対して要求される注意義務の程度は、当該医師の専門分野及びこれに隣接する分野の水準的知識のほか、右の諸環境をも総合して決定されなければならない。

2  本件における本症発生時に至るまでの我が国における本症に関する医学の発展経過

本訴における主要な争点である米山、山本両医師の過失の有無を判断するには、本件における本症発生時の医学水準を明らかにする必要があるので、それまでに出版された医学に関する論文や、医学書の一部等を示すこととする。

(眼科界)<中略>

(八) 昭和四七年

<証拠>によれば、つぎの事実が認められる。

(1) 永田医師らは、同年三月に発行された「臨床眼科」二六巻三号において、「未熟児網膜症の光凝固による治療」と題する論文を発表し、昭和四一年八月から昭和四六年七月までに出生し、天理病院未熟児室に収容保育された未熟児生存例二一一例及び死亡例二七例を対象として、罹患した疾患別の分類、酸素使用日数との関連における本症の発生頻度の分類を行つたうえ、右期間中における光凝固施行例と在胎週数、生下時体重、合併症、酸素使用日数、最高酸素濃度、光凝固実施時の日齢、最終予後との関係等を報告し、これを基礎にして光凝固施行の適期とその判定基準、光凝固実施後の網膜血管の発育について、その見解等を以下のとおり述べている。即ち、未熟児の罹患し易い疾患としては、呼吸障害症候群、胎盤機能不全症候群、先天異常、高ビリルビン血症、メレナ、頭蓋内出血、無呼吸、チアノーゼ、仮死、痙れんその他が挙げられ、特に、呼吸障害症候群、メレナ及び無呼吸、チアノーゼ、仮死、痙れん等の疾患に罹患した児に本症発症児が多く、死亡例の約四〇パーセントが呼吸障害症候群に罹患している。右生存例のうち、14.69パーセントに本症活動期病変を発見し、うち6.64パーセントは第一期まで、5.21パーセントは第二期までそれぞれ進行して自然治癒し、うち2.84パーセントは第三期に入つて光凝固を施行した。酸素の使用日数が多くなるほど本症の発生率が高く、特に活動期第二期以上に進行した症例の多くが比較的多くの酸素供給を受けている。光凝固施行例二五例のうち、六例は天理病院未熟児室で保育中発症したもので、他の一九例は他院よりの紹介患者である。右二五例を生下時体重別にみると、外科手術を受けた例外的症例(一九〇〇グラム)以外は全例一七〇〇グラム以下であり、うち二一例が一五〇〇グラム以下の低体重児であつた。光凝固施行の二五例がすべて酸素を使用しており、酸素使用日数一〇日以内で発症しているのはすべて生下時体重一五〇〇グラム以下の低体重児であり、光凝固施行例の最終眼底所見は、他院紹介の二例については来院の際、既に治療の適期を過ぎていたため、オーエンス第三度以上の重症瘢痕を残したが、他は六例につきオーエンス第二度の瘢痕を残したほかはすべて完全に治癒した。完全治癒した例では最短生後三二日、最長生後八〇日目に光凝固を行つており、眼底所見がオーエンス活動期第二期から第三期に移行した日齢の最も短いものは生後二六日であつた。光凝固施行の適期とその判定基準については、オーエンス第三期に入つて網膜剥離がすでに起こつている症例で光凝固を行つた場合、病勢の進行を一応停止することができても、網膜血管のうつ血の消退には数週間を、増殖性変化の完全な呼吸瘢瘍化には数か月をそれぞれ要することもあり、このような症例では乳頭上下端の血管の耳側への牽引や、はなはだしいときには黄斑部の耳側偏位を起こし、当然視力の予後も比較的不良と予測されることから、最も理想的な光凝固施行時期は、オーエンス第三期よりも第二期の終りであり、その適期の判定は、生下時体重、酸素使用日数、眼底所見などを総合すれば可能であるが、そのためにはかなり早い時期からの継続的な経過観察と適確な判断を下すための知識と経験の蓄積が必要である。

また、同医師らは、右論文において、眼科医による酸素使用中の網膜血管径のモニタリングは、本症予防の方法として、その有用性が期待できないという外国の研究結果を紹介したうえ、結局本症の予防には酸素使用中の持続的な動脈血酸素分圧の側定以外に良法がなく、これにも現在実施面で多くの困難を伴うので、現状では本症予防に関しては結局チアノーゼを指標とする酸素使用の可及的制限以外に、他に良法はないようにもみえるが、皮膚の色がピンクである場合には動脈血酸素分圧が八〇ミリHgから四〇〇ミリHgもの広い範囲に分布している可能性があり、組織の酸素分圧が知らない間に高くなつているという危険性が存在すること、網膜血管の未熟性そのものが基礎にある以上、たとえ血液酸素分圧が正常に保たれたとしても、本症発生の危険性を零にすることができないことから。本症による失明や弱視の発生を防止するためには、結局生後三週間より始まる定期的眼底検査による本症の早期発見と、その進行の監視、最も適切な病期における光凝固ないしは冷凍凝固による治療が最も実際的な対策であると考えられる旨述べ、本症を完全に予防する方法がないこと、本症による失明や弱視の発生を防止するためには、定期的眼底検査による本症の早期発見と、光凝固若しくは冷凍凝固を適期に施行することが最も重要であることを明らかにしている。

(2) 東北大学の山下由起子医師は、右同誌において、同大学周産母子部未熟室で生後間もなくより眼科的管理を行つてきた未熟児及び直接眼科外来を訪れた本症患者のうち活動期第三期に至り自然治癒が望めないと思われる重症例八例に対し、キーラー社製のアモイルス冷凍装置を用い、局所麻酔または全身麻酔下に、手術する部位を倒像鏡で確認しながら冷凍手術を施行し、その施行後二か月以上の経過を観察した結果を発表しているが、これによれば、右施術により六例が瘢痕期第一度の、二例が瘢痕期第二度の各瘢痕を残して治癒し、将来重篤な視力障害を残すおそれはないものとされている。

同医師は、冷凍凝固手術施行の時期につき、第三期に入つても頻繁に眼底の観察を行いながら自然治癒を期待し、その進行の停止が望めないと判断したときはじめて手術を施行することにしていると述べ、永田医師らの主張よりやや遅い時期に手術を施行すべきことを明らかにし、また、手術施行範囲についても、成長期にある患児が広範囲の網膜癒着による牽引で、将来網膜剥離などを起こすおそれがないという保証がない現在、手術巣は最小限にとどめるべきであるから、境界線部及び異常分枝血管のある部分の全てを凝固する必要はなく、硝子体中へ血管が著明に浸入している部分を冷凍手術するだけで十分と思われると述べ、手術による侵襲を最少限にとどめるべきことを唱えている。

<中略>

以上を前提に、原告雅代の出生した昭和四七年三月当時における眼科界の本症に対する一般的な認識の内容を判断するならば、おおよそつぎのようなものであつたと考えられる。

(一) 本症は殆んど未熟児に限つて罹患する眼疾患で、特に生下時体重一五〇〇グラム以下の低体重児及び在殆期間三二週以下の児に発生し易いこと

(二) 本症の原因としては、酸素の投与によるとする説が有力に唱えられているが、ときに酸素投与を全く受けなかつた児にも発生するので、網膜の未熟性に素因があると考えられていること

(三) 本症の予防方法として、動脈血酸素分圧(PO2)の測定等により、酸素投与を必要最少限度に抑えることが有効であるが、これは実施面で多くの困難を伴い、かつ、PO2が正常に保たれた児にも発症の危険性があることから、結局、本症を完全に予防する方法はないこと

(四) 本症の治療に有効であると従来唱えられていた副腎皮質ホルモン、ビタミンP等の投与は、本症に自然寛解が多いこととの関係上、その効果に疑問があること

(五) 本症に対する有効な治療法としては、光凝固法があり、オーエンス活動期第二期の終りころから三期の中ころにかけてこれを施行すれば、ほぼ確実に本症の進行を停止、治癒させることができること

(六) 光凝固法施行の適期を正確に把握するためには、生後三週間目ころから定期的な眼底検査を実施する必要があること

以上がその内容であつたものと考えられ、特に本症の治療法としての光凝固法の有効性は、永田医師が初めてこれを開発した昭和四二年から多数の追試を経て、ほぼ疑問の余地なく実証された段階に達していたものというべきである。

(小児科界)<省略>

以上を前提に、原告雅代の出生した昭和四七年三月当時における小児科界の本症に対する一般的な認識の内容を判断するならば、およそつぎのようなものであつたと考えられる。

(一) 本症は未熟児にみられる眼疾患であり、生下時体重が低く、あるいは在胎期間が短かく、網膜の未熟な児に発症し易く、重症例は失明にまで至ること

(二) 本症は、未熟児の網膜血管の未熟性を素因とし、酸素を原因として発症するとの説が有力であるが、従来安全だと唱えられていた四〇パーセント以下の酸素濃度でもしばしば発症し、ときに酸素を全く投与しなかつた児にも発症すること

(三) 未熟児に酸素投与を行う際にはチアノーゼを指標として必要最少限度の投与を行うようにすれば、本症の発症は、ある程度予防できること

(四) 本症に対する有効な治療法としては、光凝固法があり、昭和四三年四月に永田医師により発表されて以来多数の成功例が報告されていること

(五) 光凝固法を有効に施行するためには本症を早期に発見しなければならず、このためには眼科医の協力を得て眼科医による定期的な眼底検査が必要であること

以上がその内容であつたものと考えられる。

3 原告雅代の担当医師の注意義務

原告雅代が出生した当時の医学の一般水準を前提として、原告雅代を担当することとなつた医師の注意義務の内容を判断するならば、主としてつぎのようなものであつたというべきである。

(一)  児の全身状態に注意し、未熟児の最大の死因であるIRDS等の罹患を予防するために適切な処置をとること

(二)  酸素療法を行う場合には、常例的な投与を避け、チアノーゼあるいは呼吸障害を指標としてこれを行い、酸素濃度もできるだけ低くおさえること

(三)  原告雅代は生下時体重一〇五〇グラムのいわゆる極小未熟児であつて、酸素療法に伴い本証に罹患する可能性が大であることから、当時、本症の有効な治療法として唱えられていた光凝固法による治療の適期を失しないようにするため、本症の早期発見を目的として、眼科医の協力を求めて定期的眼底検査を実施すること

(四)  眼科医による定期的眼底検査の結果、本症の進行症例を発見し、そのまま放置すれば失明の危険があるときは、保護者にその旨告げるとともに、本症に対する有効な治療法として光凝固法があることを説明し、光凝固術施行の承諾が得られたならば、しかるべき医療機関に転医させてこれを受けさせること

以上が原告雅代の担当医師の注意義務の内容であり、かつ被告の診療契約上の債務の内容であつたものというべきである。

4 原告雅代の担当医師の注意義務違反

前記認定した事実によると、原告雅代は昭和四七年三月六日被告病院に入院するや、直ちに米山医師の担当のもとで保育器に収容されて酸素の投与を受けることになり、それ以来同年四月六日までの三二日間(同月七日は一旦右投与を中止)及び同月八日から同月二〇日までの一三日間(以上合計四五日間)にわたり酸素の投与を受けたこと、米山医師は原告雅代の入院当初看護婦に対し、酸素は多い目に(ただし四〇パーセントを超えないように)与えるべきことを指示し、原告雅代に対し昭和四七年三月八日から同月一一日までの間二一ないし二三パーセントの低濃度の酸素投与をしたこと(同月一二日以降の酸素濃度については、本件に顕われた証拠を精査してもこれを確定しがたいが、証人米山温子は、同月一二日以降もおおむね二〇パーセント台であつたが、同原告の一般症状が悪化したときには一時的に三〇パーセント程度の酸素を投与したこともある旨証言している)、米山医師が右のとおり原告雅代に対して投与した酸素は低濃度であつたとはいえ、四五日間という長期間に及ぶことが明らかである。

しかるところ、証人米山温子の証言によれば、米山医師は酸素濃度四〇パーセント以下を守れば本症発生の危険はないという認識をもち、原告雅代に対してはそれ以下の酸素を投与したのにすぎないから、原告雅代について本症発生の危険ひいては眼底検査実施の必要性を認識せず、眼科医に依頼して定期的眼底検査を一度も実施しなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

米山医師は前認定のとおり被告病院の小児科医として勤務し、未熟児の保育医療を担当していたのであるから、自己の専門分野である小児科関係のみでなく、これに隣接する分野である本症(眼科関係の一部)についても、その医学雑誌等の文献を閲読し、あるいは学界に参加する等の方法で、日々進歩し生成発展しつつある新たな知識の研さん修得に努める義務があるものといわなければならない。

そして前認定のとおり米山医師が原告雅代に対して保育医療行為を施した昭和四七年三月当時までの間には、眼科関係の文献のみでなく、米山医師の専門分野である小児科関係の文献のなかにも各所に、本症は、一般に酸素投与により発生するといわれているが、生下時体重一五〇〇グラム、在胎期間三二週以下の網膜の未熟な児に発生しやすく、また本症の治療法としては有効な光凝固法があり、これを適期に実施するためには定期的に眼底検査を行なう必要がある旨掲載されていたのであるから、米山医師としても昭和四七年三月当時までに右のような知識を研さん修得しえたものといわなければならない。

しかるに、米山医師は、在胎期間二九週、生下時体重一〇五〇グラムという極小未熟児である原告雅代に対し、四五日間に及ぶ長期間にわたつて酸素を投与しながら、酸素濃度が四〇パーセント以下であることから、本症発生の危険を認識せず、そのため眼科医の協力を求めて定期的眼底検査を一度も実施しなかつたのであるから、米山医師は、昭和四七年三月当時の未熟児保育医療を担当する小児科医として有すべき一般的医療水準の知識を欠き、眼科医の協力を得て定期的眼底検査を実施すべき義務を怠つた過失があるものというべきである。

三因果関係

本症が酸素を原因とし、網膜の未熟性を素因として発症する眼疾患であること、原告雅代が比較的長期間にわたつて酸素投与を受けたことを前提にして原告雅代の罹患した本症の発生原因を考えるならば、原告雅代は、自らの網膜の未熟性を素因としつつも、被告病院の担当医師によつて投与された酸素を原因として本症に罹患し、これが進行して両眼失明に至つたものと認めるのが相当である。

ところで、原告雅代の出生した昭和四七年三月当時においては、本症の治療法としての光凝固法の有効性が多数の追試を経て実証されていたことは前記認定のとおりであり、定期的眼底検査の実施により本症を早期に発見して適期に光凝固術を施行すれば、本症はほぼ確実に治癒させることができたものと考えられる。

したがつて、原告雅代の担当医師が酸素療法に伴い、定期的眼底検査を眼科医に依頼し、本症を早期に発見して、適期に光凝固を受けさせる措置をとつていたならば、原告雅代は失明を免れていたものというべきであるから、右を怠つた担当医の前記過失と原告雅代の失明との間に因果関係の存在を認めることができる。

四むすび

よつて、原告ら主張のその余の注意義務違反の有無について判断するまでもなく、被告は診療契約上の債務不履行責任として、原告らの被つた後記損害を賠償しなければならない。

第六原告らの損害

一原告らの慰藉料

原告雅代は、本症による両眼失明のため視力を奪われ、一生を暗黒の世界で過ごさねばならず、社会生活を送るうえで大きな制約を受け、将来独力で生計を立てていくためには、特殊な施設において特別な教育訓練を受けなければならず、そのために、同原告は多大の努力と忍耐とを要求されることを考えれば、その精神的苦痛は甚大なものであるといわなければならない。また、原告正義及び同峰子が原告雅代の父母として被つた精神的苦痛も甚大であるものと思われる。

しかしながら、他方において、前掲の各証拠によれば、生下時体重一〇五〇グラムという極小未熟児として出生し、統計上死亡の確率が六〇パーセント以上あり、しばしば無呼吸発作を起こして生命の危険に陥り、一時は体重が八一〇グラムにまで減少した原告雅代に対し、担当医師であつた米山医師らは、日夜献身的な努力を傾けて保育、看護を行い、その生命の危険の回避に努めたことが認められる。

また、光凝固法が当時本症の有効な治療法として確立されていたとはいえ、これが開発されてから五年余しか経過していなかつたことを考慮すれば、米山医師らが医師としての相当の注意義務を尽くし、未熟児の罹患し易い本症に関する小児科関係の文献にあたつていたならば、光凝固法及びこれを実施するための前提としての定期的眼底検査の必要性について知りえたとしても、これを怠つた過失は必ずしも情の重いものとはいえない。

以上の諸事情を総合して考慮すると、原告雅代が被告に対し、将来得べかりし利益を逸失したことによる財産的損害をも含めた意味で請求しうる慰藉料の額は金一五〇〇万円、原告正義及び同峰子が請求しうる慰藉料の額は各金二〇〇万円と認めるのが相当である。

二弁護士費用

本件訴訟の内容、経過及び認容額その他の諸般の事情を考慮すると、原告らが被告に請求しうる弁護士費用の額は、原告雅代につき金一五〇万円、原告正義及び同峰子につき各金二〇万円と認めるのが相当である。<以下、省略>

(西内辰樹 野田殷稔 法常格)

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